StudioLUNCHBOX

フリーランス3年目の映像クリエイター。スタジオランチボックス主宰の高橋雅紀がフリーランスとしての気づき、映像制作、シナリオ作成のTipsなどを紹介しています

ボイスドラマ『最後の笑顔は』収録台本

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作:高橋雅紀

人物:莉緒 

   

   カップを手にする音。

   ゴクリ。

 

莉緒のN「苦い。私の舌は意地でもエスプレッソという飲み物を受け入れる気はないようだ。多分、これが最後の一杯になるのに」

 

語り「ボイスドラマ。最後の笑顔は」

 

莉緒のN「新幹線の高架が走る私の街に、半年ほど前、エスプレッソの専門店ができた。新しい物に飛びつかずにはいられない友に「一緒に行こうよぉ」とせがまれて、私も開店後すぐ店を訪れた。さびれた駅のロータリーから斜めに伸びる商店街。目的の店はその中程。両隣は当然シャッターが閉まってる。開いているのを、今まで見たことあったけ?」

 

   ドアベルの音。

莉緒のN「ドアをくぐると、香ばしい珈琲豆の香り。真新しい木材のソレもわずかに混

じる。スマホから顔をあげたお兄さんが、いらっしゃいませと私と友に微笑んだ。センス良すぎて場違いな内装より。エスプレッソの信じられない苦さより。お兄さんの笑顔が私にとってお店の第一印象になる。つまり、最高評価。三十分程、窓ぎわのボックスシートで友とカフェを満喫した後店を出た。お客はその間、一人も来なかった。1時間に3本しか停まってくれない駅のホームで私と友は感想を言い合う。私には大人の味すぎた。その発言には完全同意。一度でいいかな。その発言は、私の想いとは違った。エスプレッソは口に合わなかったけど、私はそれからもお兄さんのお店に通った。高校生の私に一杯五百円は高額だから、そんな頻繁にはお店に行けない。それでも4回目のエスプレッソを頼んだ時にはいつもありがとう」って笑ってもらえた。お兄さんの笑顔は私をホントに穏やかな気持ちにしてくれる。もちろん、目の下にうっすらだけどクマが浮かんでる事にも気づいてた。スマホの課金を減らし、買い食いを止めて、お店に行ける回数を増やした。「惚れたわけね」と友が言うので「惚れたのではない推しているのだ」と言い返した。一月前。いつもどおりにエスプレッソを頼んで、貸し切り状態の店内で三十分程ぼんやり窓の外を見て過ごした。チラチラ盗み見たお兄さんは、ここ最近見ないくらい晴れやかな表情で。私は「テレビの取材でも決まったのかな」と思ってた。帰り際「言いにくいんだけどね」という言葉につなげ、店を閉めると話してくれた。お兄さんはどうするんですか?「もう一度、東京で修行します」それが質問への答え。なんでもそうだ。一旗あげるのも東京で、出直しに行くのも東京で。この街にはなにも根づかない。「サービスするから閉店前にまた来てね」そんなお兄さんの声を背に店を出た。やけに大きな音を立てて、扉が閉まる。それで終わりにしようと思ってたのに、閉店を3日後に控えた今日、私は自分の席と呼んでしまってもいい窓辺の席で、エスプレッソを飲み終えた。最後まで、苦かった。カバンをつかんで立ち上がる。「ひいきにしてくれてありがとう」お兄さんの顔に寂しそうな笑みが浮かぶ。その笑顔は、ちがう。そんな笑顔でアナタとさよならしたくない」

 

莉緒「写真を。写真を撮ってもいいですか?」

 

莉緒のN「あとはもう夢中だ。おろおろしてるお兄さんを店のドアの脇に立たせて写真を撮った。笑って。もっと笑って。ニッコリと」

 

   カシャ。

 

莉緒のN「店の大家に邪魔されるまで撮影は続いた。駅のベンチで写真を眺める。口の両端をくいっとあげれば気分も自然にあがるもの。はじめは硬い表情をしていたお兄さんも、一枚、また一枚とスワイプするたび、あの笑顔を取り戻す。最後の一枚。大好きだった笑顔が写ってた。この笑顔を見る事は、もうないんだ。そうハッキリ自覚したら、こみあげてきて、お兄さんの笑顔はふっと滲んで、見えなくなった」

 

 

(完)

 
このシナリオを使って収録したボイスドラマです。

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