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シナリオ仲間としては、だいぶ古い付き合いになってきたミゾタが来たので、『スーパーチューズデー』を見る予定が、仲間数人でお茶をする事にした。
その席で、僕が常々思っていた「プロ」の定義について問題提起をしてみた。

僕にとっての「プロ」の定義は

1.それが主要な収入源であること
2. その状態が一過性の物ではなく、数年継続していること

この二つを満たしている人を指す。

つまり僕は、ライターとしても、映画監督としても、プロではないという、自己認識をしていました。(今もしています)
そして、この定義に当てはめると、そもそもプロのライターとか、プロの監督とか、ほんの一握りしかいない。

僕はいいシナリオを書きたい、いい映画を作りたいとは、いつも思っている。
けれど、プロのシナリオライターや映画監督になりたい、と思ったことがあまりないのは、上記の定義の1は頑張れば今の延長線上にあるかもしれないけど、2を成立させるのは、ものすごく大変だなぁと暗澹たる気持ちになるから。

そんな僕からすると『プロのライターになりたい』『プロの映画監督になりたい』とかテライもなく言える人ってすごいなっといつも思っていたんです。

なのでこの機会にホントのところ、みんなが言ってる「プロ」ってのは、どんな状態なのよ?という事を聞いてみたところ……。

やはり僕と他の人の「プロ」の定義はズレていた。

しっくり来たのは、ズッキーのプロ論(というか基本、みんなコレだった)で「成果物に対しての対価(お金)をもらった時点でプロであり、るかっちの言うのは、プロとして一流という部類に入る」

あ、なるほど!

という感じ。確かに生計が成り立たなくても、仕事として引き受けた以上、成果物のクオリティ、納期、等に責任が発生するわけで、それは所謂プロ意識という物であるなぁ。ふむふむ。

と感心するに至ったわけであるんです。
そして、この定義の元

「プロ」になりたいか?
と聞かれたならば、

僕、勿論イエスオフコースと答えられるのであります。